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高輪勉強会PHOTO レポート

■高輪勉強会PHOTO レポート

 平成23年6月25日午後14時に都営浅草線・京浜急行線泉岳寺駅に集合し、当時の江戸の内と外との境界線であった高輪大木戸跡(当時は道の両側にあった大木戸の石垣も、現在は東側のみが残されているだけです)を出発点に、高輪勉強会の幕が開きました。現在、田町駅から品川駅前を通る国道15号線(第一京浜)が当時の東海道です。旧東海道は、品川駅を過ぎて八ツ山橋辺りから国道15号線を外れて細い旧道に入ったところが旧品川宿です。当時の浮世絵を見ると、現在山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線等のJRの線路から東側がすべて海であったことが分かります。今、再開発が進んで賑わっている品川駅港南口も当時は海だったんですね。
大木戸跡を見学した後、次は泉岳寺に移動です。ご存知の通り、泉岳寺は四十七士の討ち入りで有名な浅野内匠頭とその家臣である大石内蔵助等の赤穂義士所縁のお寺です。まずは義士記念館で赤穂義士にまつわる史実を勉強し、義士所縁の展示品を見て回り、その後、浅野内匠頭と四十七士のお墓をお参りました。赤穂浪士の墓前では、黒木代表が珍しいお宝ということで、赤穂義士を描いた48枚の浮世絵を張り合わせた絵巻を披露してくれました。そのときです。何とグッドタイミングなことでしょうか、浮世絵絵巻をしまった途端に雨が降り始めました。浮世絵がしまわれるのを雨が待ってくれていたかのようです!
泉岳寺の後は、昔ながらの細い路地を通って、旧肥後藩細川邸へ向かいました。今は高松宮邸、高輪一丁目都営アパート、高松中学校、そして港区役所高輪支所(高輪コミュニティセンター&高輪図書館)に及ぶ広い敷地です。「大石内蔵助自刃の跡」の碑を見た後、四十七士のうち細川邸に預けられた大石内蔵助以下計17名の忠烈の跡を視察しました。そこでは、また黒木代表から、以前、五井野博士の講演会でご紹介のあった赤穂義士にまつわる秘話が紹介されました。
最後は、旧肥後細川邸内のシイの巨木の下で、kirilo'la'顧問の縄文の舞(唄)を鑑賞して勉強会は終了です。
途中、宮内庁御用達で、昭和天皇も好んで食べたといわれる松島屋の豆大福を参加者全員でいただき、その美味しさに舌鼓を打ちました。
 品川に移ってからの懇親会では、漢方薬膳料理の店「10ZEN」で薬膳プルプル美肌鍋を堪能しながらの会員交流です。すっぽんとウコッケイに20種類の薬膳を加えたスープを鍋にして、野菜やきのこ、魚介類と鶏肉を食しました。池田顧問によるお話もあり、写真を撮るのを忘れるほど、みんなで大いに盛り上がりました(というわけで、懇親会の写真はありません!申し訳ありません!)。

   
 ↓国道15号(旧東海道)の東側(写真左側)は、海だった・・・  
広重 昇亭北寿
高輪之夕景(歌川広重) 東都品川宿 高輪大木戸(昇亭北寿)
   
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国道15号(旧東海道)の歩道橋から
大木戸跡(道路沿い・奥左側の植生)を臨む
地図を片手に大木戸の歴史説明を受ける参加者
(歩道橋上)
   
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大木戸跡地にて  
   
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泉岳寺にて 大石内蔵助(良雄)銅像
   
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赤穂義士記念館前にて(チケット配布) 赤穂義士 四十七士墓所にて、
義士の巻物(浮世絵集)を広げて記念写真
   
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大石内蔵助(良雄)の自刃ノ跡 大石良雄他十六人忠烈の跡
   
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旧細川邸のシイの巨木の下、
当倶楽部kirilo'la'顧問による
舞が披露された
旧細川邸のシイの巨木の下にて記念写真


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